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ジョン・ネヴィル (ネヴィル・ドゥ・レビィ男爵) : ウィキペディア日本語版 | ジョン・ネヴィル (ネヴィル・ドゥ・レビィ男爵) ネヴィル・ドゥ・レビー男爵ジョン・ネヴィル(''John Neville, 1st Baron Neville de Raby'', 1410年頃 - 1461年3月29日)は、イングランドの貴族・軍人。父は初代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルの長男のネヴィル卿ジョン・ネヴィル(''Sir John Neville, Lord Neville'')、母はケント伯トマス・ホランドの娘エリザベス・ホランド(''Elizabeth Holland'')。第2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルの弟。 1451年以降にエクセター公ジョン・ホランドの娘アン・ホランドと結婚した。アンはジョンの甥で兄ラルフの息子ジョンの未亡人だった。夫妻は息子を1人授かった。 * ラルフ・ネヴィル(1456年 - 1499年) - 3代ウェストモーランド伯 薔薇戦争において、元来はヨーク公リチャードのヨーク派に属していたが、1459年のウェイクフィールドの戦いの直前にランカスター派に寝返った。ヨーク公はネヴィルが増援を率いて来ると考えて戦っていたが、増援の代わりにネヴィルの攻撃を受け敗死した。ネヴィルの父方の叔父(但し父とは腹違い)にあたるソールズベリー伯リチャード・ネヴィルは戦闘の直後に処刑され、ネヴィルはソールズベリー伯の遺言によってミドルハム城とシェリフ・ハットン城(''Sheriff Hutton Castle'')の治安官になった。 1461年3月28日のフェリブリッジの戦いではランカスター派の指揮官の1人として戦ったが、翌日のタウトンの戦いで戦死した。彼の死は不名誉とされ私権剥奪となったが、息子のラルフは1472年に私権復活を受けて男爵位を継承している。
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